昨日は久しぶりに電車に乗りました。
3ヶ月ぶりくらい。
スイカというものがあるということも
忘れそうなくらい久しぶりで、
スイカの残高があるかどうかの記憶も
定かではなかったけれど、
どうやら残高があったようで
無事改札を通過( ̄∇ ̄)
行きは空いていたので、
みなさん、席も一つ間隔開けて座っていました。
おー!ソーシャルディスタンス!!
・・・と内心思いながら、
そして、久しぶりの電車過ぎて
若干緊張している自分に驚きながら
何食わぬ顔をして乗車( ̄∇ ̄)
若干緊張していることには自分でも
驚いたけれど、その一つには
自分の中で「そんな雰囲気だから」
という勝手な妄想があるのかも。
(周りの人はいたって普通。
私も傍からみれば普通・・・
だと思う(‐∀‐)
昨日、向かった先で日本人は特に
雰囲気にのまれやすいかも。。。
という話になりました。
確かに人からどう思われているかを
気にすることも多いし、
周りの様子や空気をみて、読んで
自分の行動を選択することも少なくはないのだと
思います。
今こんな雰囲気だから自分もこうしなければ
ならない、、、というような。
これこれこうだから自分はこうする。
というのではなく、みんながこんな雰囲気だから
よく分からないけれどとりあえず合わせておこう
というような心理。
なので、今回のコロナでも
「正しく怖がる」という言葉が
出てきたのだと思います。
人は「分からない」ということに恐怖を覚えます。
そこを「分からない、分からない」でむやみに怖がるのではなく、
(確かに新しいウイルスで未知数なことはあるのですが)
自分できちんとどうなのか?
そこで自分はどう思うのか?
と「自分で考える」ことが大事なのだと思うのです。
思うのです。と言っている私も「自分で考える」
ということをさぼっていることも多々ですが(‐∀‐
反面、雰囲気にのまれるのは、ある意味必要な要素でも
あるとも思っています。
例えば、みんながリラックスしている場にいくと
自分もなんとなくリラックスしたような感じになる、
欠伸をすると欠伸がうつる、
みんなが笑っていると自分も楽しくなる。
共鳴というようなものでもあると思いますが、
プラスに作用するときは大きな効果も発揮する場合も
ありますね。
しかし、マイナスに作用する雰囲気の方が飲み込む
吸引力が激しく感じるのは私だけでしょうか(‐∀‐
そういったマイナスの雰囲気にむやみに飲み込まれ
ないようにするためには、自分の頭で物事をきちんと考え、
考え抜き、自分はどうしたいのか、
自分の軸をはっきりとさせておく。
これに尽きるのだと思うのです。